Perl5 デスクトップリファレンス
監訳者あとがき

一般には監訳者のコメントは最初に付けることが多い。 この種の書籍の場合は付けないことも多いし、実際第1版には付いてない。 第3版でもいらないだろうと言ったのだが、 Larry Wall の序文が付くようになったし、今度は書いてくれという話になった。 でも、リファレンスの前振りがあまり長いのもどうかと思うし、 Larry Wall の後に書くのもバツが悪いので、最後にしてもらったのである。 目次にも載せてない。

本書は、Johan Vromans 氏による Perl5 Pocket Reference 3rd Edition の日本語版である。 原書では2回目だが、 日本語版では原書の 2nd Edition を飛ばして初めての改訂となる。

一応言い訳しておくと、 ぼくがサボっていたために第2版が出なかったわけではない。 第2版は変更が比較的少なかったし、 出版部数や時期の関係で出さない方がいいと判断しただけである。

さて、今回の改訂でもっとも大きく変わった部分はどこだと思われるだろうか。 Perl 5.6 に対応したこと? 5.6 対応と一口に言ってもいろいろあって、 Unicode、スレッド、コンパイラ等々... でも、全部違う。LaTeX で組版した こと? 監訳者が少しは Perl5 を使えるようになったこと? ダイニングテー ブルで作業していると、這い登って来てキーボードをバンバン叩いて手伝って くれるやつが一匹増えたこと?

正直に打ち明けると、第1版の監訳を頼まれたときには、 Perl5 を使ったことがなかったのである。 もちろんインストールくらいはしたことがあったが、 自分で作ったスクリプトを実行すると、簡単にコアダンプしてくれたので、 使う気にはなれなかった。 時間があれば処理系をデバッグすることもできるが、 残念ながらそんな暇はなかった。
実際のところ、一番変わったのは体裁だと思う。 第1版を作った方には申し訳ないが、お世辞にも褒められた出来ではない。 第3版は、原著者から LaTeX の原稿を頂いて、 それを修正して日本語版を作成した。というわけで、 原書に近い品質のものが出来たと思う。 ただし、LaTeX の原稿をちゃんと印刷してくれる印刷所がなければ仕方無いのだが、 今回お世話になった日経印刷さんは、 LaTeX の経験や知識もあり、とてもすばらしい仕事をしてくれました。
この作業をやっていたのは、2番目の息子が1歳半くらいの頃。 実際、放っておくと大変なことになる。

残念ながら、どれも不正解。何と言ったって今回一番大きく違うのは、 Larry の序文が付いたことでしょう。 それも極めて傍迷惑な変更で、 監訳作業の大半はそのために費されたと言っても過言ではない。

若干誇張が入ってはいるが、それほど間違いではない。 ページあたりの時間としては、他のページの数十倍はかかっているはずだ。

ボクみたいに何のことかさっぱりわからなかった人のために、 少しだけ解説しておく。 背景としては、Goldilocks and the Three Bears という、 子供向けのお話があることが前提となっている。 元々はイギリスの昔話らしいが、欧米ではかなり一般的な話らしい。 もちろん日本にもあって、 「三匹のくま」というタイトルが付けられることが多いようだ。 以下あらすじ。

実際、最初 Goldilocks という名前を見ても何のことか全然わからなかった。 ちょっと調べると、ストーリーはすぐにわかって、 そうすると昔聞いたことがあるなあ…と思い出した感じである。 大方の日本人は、似たようなもんじゃないだろうか。

大きなお父さん熊と、中くらいのお母さん熊と、 小さな子熊が森の家に住んでいる。 ある日、朝食のオートミール (原文は porridge、日本ではお粥になってることもある) が熱すぎるので、冷めるまで3匹そろって散歩に出かける。 そこにやってきた女の子の名前が Goldilocks (普通名詞だと金髪の少女という意味らしい)。

おなかがすいているので、大きなオートミールを食べようとするけど、 熱すぎて食べられない。 中くらいのは冷たすぎる。 小さいのはちょうどよかったので、全部食べちゃった。 リビングに行くと、大きな椅子は固すぎて座れない。 中くらいのは柔らかすぎる。 小さいのはちょうどいいのでそれに座ったら壊れちゃった。 満腹になったらで眠くなった。 大きなベッドは固すぎる。 中くらいのは柔らかすぎる。 小さなベッドはちょうどよかったので、ぐっすり眠り込んでいると、 そこに散歩に出かけていた熊たちが帰って来ちゃって、さあ大変!

知らない人は、この後どうなるんだろう? と興味をそそられるかもしれないが、 何も起こらない。 女の子はスタコラ逃げちゃってそれでおしまい。 とっても、実も蓋もない終わり方。 この手の昔話には、大抵教訓めいた意図が含まれているもんだが、 一体このお話は何をいいたいんだろう?

そう、序文に出て来るゴールディというのは、この少女 Goldilocks のことだ。 日本の子供向けの本だと、ただ女の子とか書いてあることもあるが、 こう呼んでいる本もあって、響きもいいので採用させていただいた。 ゴールディではピンとこなくても、そんな話を昔読んだことがあるような気がする、 と感じた読者も多いことと思う。

ここを完成させるために、もちろん web をクリックしまくったし、 本屋の児童書売場を何箇所も廻ったし、図書館にも行ったし、 レンタルビデオ屋をハシゴしたし (そう、映画もある。結局まだ見てないけど)、知合いに相談したし、 編集部にも協力を求めた。 つまり、結構努力したのです。

まさに "Goldilocks and the Three Bears" というタイトルで、 邦題が「魔法の森のおしゃべりクマさん」という映画がある。 ビデオは結局見ていない。 レンタルで見付からないので、通販で買おうかとも思ったが、 1万6千円もするのでやめた。 Larry はアニメファンなので、 こういう映画と関係があるのかもと最初は思ったが、 調べていくうちに関係なさそうだと感じたのであまり追求はしなかった。 セサミストリートにも出てくるらしいので、そっちの方が臭いとにらんでいる。

それでも、まだ、どこか違うんじゃないかと思ってる。 でも、仕方ないでしょ。 技術屋にこんな文章を訳させようというのが、そもそも間違いなのだ。 だから、もし気がついたことがあったら、是非教えてください。 ついでに、本文の間違いもお願いします。

元の話で少女は、最初のオートミールは too hot!、3番のは too cold!、 そして最後のは just right! と叫ぶ。 椅子は最初のが too big!、2番目も too big, too!、最後のは just right!。 最初のベッドは too hard!、2番目は too soft!、そして最後で just right!。
Larry は、もし Goldilocks がこの本を見たら "Everything is juuuuust right!" と言うだろうと書いている。 "just right!" は、彼女のいわば決め台詞だ。 訳では「ぜーんぶ、申し分ないわ!」としたが、 どうもこれでは決め台詞的ニュアンスが伝わらないと思っている。 「月に代わっておしおきよ!」的インパクトが欲しかったので、 日本ではこの "just right" をどうやって訳しているのだろうと思って、 いろいろ調べたのだが、 どうも日本語訳ではこの just right の繰り返しはあまり重要視されていないようだ。 確かに just right を辞書で引けば「ちょうどいい」ということになるのだろうが、 使われ方を考えると、たとえば日本語の「ドンピシャ」 みたいな決め台詞的雰囲気を伝える言葉が必要だと思う。 まあ、この just right にドンピシャな言葉はぼくも思い付かないのだが。 とにかく、翻訳というのは、 単に文字通りの意味を変換すればいいってもんじゃなくて、 文字には現れていない雰囲気も伝えなければいけないと思う。
この話の日本語訳については、Goldilocks という名前についても不満がある。 Larry が序文で使っているように、 欧米人にとっては Goldilocks という名前自体が特別な意味を持っているようだ。 しかも桃太郎みたいに個人を特定する名前とは違って、 もう少し匿名性が高いというか、一般名詞的な雰囲気も持っている。 とにかく、単なる「女の子」じゃどうも雰囲気が伝わっていないんじゃないかと思う。 ただ、日本は文化的背景が違うので知らないものは知らないわけで、 これはどうやって言葉を選んだところで無理なものは無理なのである。 そういうわけで、何かしら特別な意味を持っているらしいということが伝わる 「ゴールディ」というのが一番ましかなと思った次第。 もちろん、ゴルディロックスでもいいのかもしれないが、 日本語だとどうもゴツゴツした感じでいただけない。
日本語でゴールディと書いただけでは、さらに意味が伝わらない。だから訳注 が必要だ。でも、あの Larry の序文に訳注を付けるというのは、いかにも不 粋な所業だ。というわけで、このあとがきは、序文に対する訳注なのである。 Larry が原文で伝えようとした雰囲気を半分も伝えていないことに対する、言 い訳というか泣き事でもある。
そして、この文章は、訳注に対する訳注 :-)

最後になりましたが、質問に丁寧に対応していただいた Johan Vromans 氏、 訳語について意見をいただいた Tokyo Perl Mongers のメンバー、LaTeX での 組版にご協力いただいた日経印刷さん、中尾さんをはじめとするオライリー・ ジャパンの皆さんに感謝します。

ホントに、ホントに。

歌代 和正
2000年10月


P.S.

ペンギンハウス (文悠 国立店)ウェ ブページで、三匹のくまのいろいろな本が紹介されているのを発見。トル ストイ原作のものと、イギリス民話に基づくものとに大別できるらしい。いず れにせよ、ヨーロッパやロシアでこのような民話があって、それをトルストイ が文章にしたのだろう。中には「三びきのくまときんぱつちゃん」とそのまん まのもある。
トルストイ版の原題は "Tri Medvedja"、ロシア語で書くと "Три медведя" で、つまり「三匹の熊」(参考: 英露辞典)。 くまには名前もついてる。 お父さんはミハエル・イワノビッチ (Михаил Иваныч)、 お母さんはナスターシャ・ペトローブナ (Настасьи Петровны)、 こぐまはミシュートカ (Мишуткина)。 ところで、ロシア語の名前って名字はないの? トルストイ の原文らしきものを発見して見てみると、どうも女の子は Девочка のようで、英語だと Girl。Goldilocks を引くと ЛЮТИК ЗОЛОТИСТЫЙ と出て来るが、これは Goldilocks のもう一つの意味である チシマキンポウゲに対するロシア語のようだ。 ЛЮТИК は英語で Ranunculus で、 これはキンポウゲ科のラナンキュラスという花の名前。 もはやどうでもよくなってくるが、この語源はラテン語で蛙のことらしい。 ЗОЛОТИСТЫЙ は金色のという意味だ。 < これ> (コピー) かな? お粥は похлебала らしいが辞書で出て来ない。 なぜか похлёбкойпохлебалапохлёбкапохлёбку と似たような表現がいくつも出て来る。 活用だろうか。
とにかく、これで疑問が少し霽れた。 トルストイ作品は、原文からして女の子なのである。 イギリス民話に基づく方は Goldilocks になってるのだ。
瀬田貞二先生訳のがあるので、早速 Amazon で注文してみた。 やっぱ、瀬田先生はすごいなぁ。なんと、

きんきらこちゃん

恐れ入りました。 上でゴルディロックスだとゴツゴツしてると書いたけど、 そのゴツゴツ感を見事なまでに拭い去っている。 しかもゴールデンな感じだ! 『まるで、間違った家に迷い込んでしまった、きんきらこちゃんのようだ』 か…、ううむ。 ちなみに "just right!" の方は『ちょうど いい!』と、いたって平凡。 でも『いいわ!』としないところがちょっと詩的な感じ。 本音を言えば、瀬田先生の訳文って、個人的には少し違和感を感じるんだけどね。 きんきらこちゃんにしても、もうこれっきゃない! と思うわけじゃないけど、 とにかくこういう名前を思い付いちゃうってのは、それだけで十分にすごいことだ。
ところで、この本のきんきらこちゃんて、ちょっとフケすぎだと思う。 絵の雰囲気は、ぼくの好きな John R. Neill にちょっと似てる。 でも、いすを壊しちゃうところは、Tenniel の Alice みたいね。
2001.11

P.S.

絵本論―瀬田貞二子どもの本評論集』を入手。 巻頭のカラーページには、レーベデフ、ブルック、 バスネツォフという3人の画家による「三びきのくま」の挿絵が載っている。 この中で瀬田先生は、「三びきのくま」についてこう書いている (147ページ)。
私はながいこと、すぐれた昔話だと思っていました。 そしたら、たまたま、ハーバート・リードの『散文論』を読んでいて、 この物語がイギリスのロバート・サウジーの作として引用され、 「この物語はまったく完全に伝承物語の条件にかなっているので、 実際にそう思われ、 あらゆる国であらゆる言葉にいいかえて再話されているけれども、 この物語が十九世紀はじめのイギリスの一作家の手になる たくみな創作だという事実には、ほとんど気づかれていない」 とリードがのべているのを読んで、シャッポをぬぎました。
ところが、これはやはり間違いだったことがわかり、 筆者から訂正の連絡があったそうだ。 それについて解説した巻末の注では、 吉田新一著『イギリス児童文学論』が引用されている。
ジョウゼフ・ジェイコブズのイギリス民話集にある『三びきのくま』は、 ロバート・サウジという詩人が 一八三七年に書いたものをそのまま収録したものである。 ジェコブズははじめ、それをサウジの創作と思い、 個人の創作が民話として生きてきた唯一の例外、と解説した。 ところが、その後彼の民話集にさし絵を描いたジョン・バッテンが <H夫人>から聞いたという ―そして、H夫人はその母親から聞いたという― 「三びきのくま」の原型とおぼしき話の あることを知り、先の<サウジの創作>というのを改め、 <サウジの再話>と解説しなおした」
この古い内容が、ハーバート・リードの『散文論』に残っていて、 瀬田先生はそれを読んだのだそうだ。 要するに、みんな混乱しているのである。 ぼくなんかが、わからなくても仕方がない。

ところで、この話の中で Goldilocks は、どう考えてもいい子じゃない。 一方、熊の方は、なかなかの人(?)格者である。 少女が熊の帰りを待っていれば、 きっと彼らは porridge をご馳走してくれただろう。 誰かがベッドに寝たことにすぐ気づいたのだって、 きれいにベッドメイクしてあるからだ。

Goldilocks は特定の個人の名前ではないが、 ある状況においては特定の誰かを指して使われると思われる。 たとえば「赤ずきんちゃん」みたいなもんだろうか。 赤ずきんちゃんが同時に2人いたら変だ。 「金髪娘」なんて呼ばれる少女も村や町に1人しかいないはずだ。 だから、当然かなりの美人である。 可愛い可愛いと言われながら育って、若い男はチヤホヤしてくれる。 そんなわけで、かなり我儘で高慢な娘に育つ可能性が高い。 「三びきのくま」に出て来る Goldilocks もそんな感じである。

てなことをずっと考えてたら、瀬田先生はこんな風に書いていた。

サウジーの原作では、へんなおばあさんだったのが、 いつしかシルバー・ヘアーという娘さんになり、 それもまたゴルディロックスというはねっかえりの名にかわってしまったのが その証拠です。
やっぱり、Goldilocks は「はねっかえり」だったんだー。
2001.12

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